学院創立者

平岩 愃保
平岩愃保は、徳川家康以来の幕臣、祖父は特に家康の信任あつく、義直の尾張に赴くや准父の地位にあって名古屋城を築く等、旧幕下に於いて軽からざる家系に生まれた。
切支丹宗門改同心を務め、反キリスト教的な家柄だったので、平岩家及び一族には切支丹宗門を邪教視する気分があり、自然にキリスト教を憎悪しつつ成長したという。
切支丹の弱点を発見し反駁するために出席した時の「オルガンの妙音」が忘れ難かったことから更にクラークの聖書研究に出席。そこでカナダ・メソジスト教会の宣教師ジョージ・カクランとの出逢いをきっかけに伝道の道に入る。
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関口 隆吉
1836(天保7)年に江戸本所で幕臣関口隆舟の次男として生まれた。
幕末には徳川慶喜御謹慎所勤方、さらに身辺警衛精鋭隊頭取並および町奉行支配組頭となり、徳川慶喜の警護役を務めた。
1876(明治9)年から山口県権令を任ぜられ、地租改正事業と旧氏族の反乱(萩の乱)鎮圧に大きな功績を残した後、1884(明治17)年に静岡県県令となり、1886(明治19)年に地方官官制公布により初代静岡県知事に任命された。
銀子夫人の遺志を継ぎ、女子教育の設立を叶えるため活動する平岩愃保との会談を重ね、静岡女学校設立に尽力をした後援者。
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